【読んだ本】史上初「直木賞」「本屋大賞」ダブル受賞に含まれる意味。恩田陸「蜜蜂と遠雷」

蜜蜂と遠雷

本屋大賞は今年で14回目を数えたそうですが、直木賞と同時に受賞は14年やってきて初だそうです。それもそのはず、本屋大賞は直木賞への反発から始まった賞なのです。

本屋大賞の設立趣旨書をみると、以下のようなことが書かれています。

 出版市場は書籍、雑誌とも年々縮小傾向にあります。出版不況は出版社や取次だけではなく、もちろん書店にとっても死活問題です。一方、出版点数だけは年間7万冊と年々増え続け、読者である一般市民にとっても膨大な新刊書籍の中でどの本を読んだらいいのか、送り手である出版社の一方的な情報だけでは判断できにくく不利益な状況にあります。(NPO本屋大賞について

ここで「送り手である出版社の一方的な情報だけでは判断できにくく不利益な状況にあります」という言葉、結構強いですよね。実は本屋大賞というのは、直木賞への不満から始まっているそうです。

直木賞では時々「該当なし」の年がありました。しかし、この出版不況の中で該当なしなど出してしまっては本が売れません。そこで、本を売るプロである書店員たちが本当に売りたい本=おもしろい本を毎年選べばいいじゃん! ということで、本屋大賞が創設された、とのことです(私がこのことを知ったのは新聞記事だったと思うのですが、なんだったか失念しました……が、Wikipediaにも同様のことが書かれております)

直木賞は作家や評論家が集まって選ぶわけですが、本屋大賞は書店員の投票で決定されます。このことは思わぬ効果を産みました。というのも、書店員は一般の人の感覚も持っているわけですから、われわれ一般市民が本当に「おもしろい!」と思えるものが民主的に決定されるわけです。

つまりストレートにエンターテイメント性が高い作品が選ばれるので、本屋大賞受賞作品はすべて映像化されているのです。しかも、実際に映画も本も売れまくるのだからすごい。

そんなわけで、大衆作品に授与される直木賞のおカブをうばうようなのが本屋大賞だったわけですが、そう考えるとこのふたつをダブル受賞するというのはいろいろな意味が考えられるわけです。

ひとつは「蜜蜂と遠雷という作品がすごすぎた」ということ。作家も読者も大満足の作品であったなら納得です。もうひとつ考えられるのが、「直木賞あるいは本屋大賞の目指す方向が変わってきている」。実はもうひとつ史上初があって、恩田陸さんは本屋大賞を受賞するのが2回目なのです。今回のダブル受賞は本当にすごいことなのですが、かなり異例の事態ということもあり、今後の直木賞・本屋大賞の行方にも注目が集まっています。

 

四人のピアニストたちの、命を削るような、いや輝かせるような演奏


さて、いろいろと考えさせるダブル受賞なのですが、いまのところ私はこの作品を「すごすぎる作品」だと考えています。

本屋大賞は去年と今年で連続してクラシックピアノを題材にした作品の受賞ですが、去年の「羊と鋼の森」が純文学的な素朴な美しさを秘めていたのに対し、「蜜蜂と遠雷」は美学的究明を極めた作品である、と言えます。

ストーリーは、ある街のピアノコンクールを舞台に、4人のコンテスタント(コンテスト出場者のこと)を軸に描かれる群像劇、といった感じで表せるくらい単純です。

しかし、この作品の肝は音楽そのものにある、といっても過言ではないです。クラシックピアノは100年以上前の曲を弾くわけですから、高レベルのコンテストになればなるほど技量の差というのは劇的に出るわけではありません。一体なにが違うのかというと、演奏者の表現力なのです。

私もたまたまクラシックピアノをやっていたのでわかるのですが、同じ曲でも人によってまったく違う印象が出るというのは珍しいことではありません。「蜜蜂と遠雷」のすごいところは、この「まったく違う印象」がなぜ出るのか、ということを説得力を持って描かれている点です。

ここでいう説得力というのは、人物の背景のことです。恩田陸さんはこういう作家さんだったっけ、と思うほどものすごく細かく描写されていて、しかし演奏シーンの濃厚な表現にリアリティを色付けているのです。

いくつか印象に残ったシーンはありますが、特にコンテスタントの一人・高島明石の「春と修羅」(これはコンクール用に作曲されたという設定の架空の曲)と、もう一人のコンテスタント栄伝亜夜のドビュッシー「喜びの島」のシーンがお気に入りでした。「春と修羅」というのは宮沢賢治の詩を元に作られた、という設定なのですが、本当に頭の中にメロディが鳴り響き出しました。

さらに「喜びの島」、これは個人的にお気に入りの曲というのもあるのですが、最高潮のシーンを飾る歓喜の曲として描かれます。

(前略)……曲に顕れているのは、眩いばかりの歓喜と高揚。多幸感に溢れた、きらびやかな曲である。
そして、その曲を弾く亜夜自身、輝くほどの歓喜に溢れていた。本当に、亜夜自身が明るい光を放っている。
音楽する喜び。観客と一体となる喜び。おのれの才能を駆使する喜び。
これまでにない、音楽家としての喜びが、全身から伝わってくる。
亜夜の多幸感は、観客にもじゅうぶんすぎるほど共有されていた。(P.421)

才能あふれるピアニストが本当に開花する瞬間ほど美しいものはありません。

このややもするとオーバーにみえる表現が、それまでの登場人物たちの苦悩や成長を通してみることで、果てしない感動を覚える文章になるわけです。これは本当に、恩田陸という作家さんの力によるところだと思います。

 

映像化するならキャストは誰!? 個性的なキャラクターたち


もちろんエンターテイメント性が高いというのは筆力の問題だけではありません。キャラクターの設定がものすごく魅力的なわけです。

一応「青春群像小説」となっていますが、コンテストは一人の天才少年の参加の噂で持ちきりになります。フランスから参戦した日本人、風間塵(かざまじん)です。「蜂蜜と遠雷」は彼のことを表現しています。

養蜂家の父と共に各地を転々とする生活を送っており(そのため海外にいました)「自宅にピアノを持たない」、というよりはそんな生活なので持てない風間塵。その容姿は16歳にしては少しあどけなさが残っていて、ふだんはふわふわとつかみどころがないといった感じ。しかしピアノを弾きだすと、そのとんでもない感性で周囲を唖然とさせます。

彼には世界的に有名な師匠がいますが、べつにコンテストに勝つための教えを請うたわけではなく、そのピアノはコンクールが始まっても天衣無縫なままです。それがコンテストに嵐を呼び込み、「蜜蜂王子」というあだ名もついて多くの人に注目されます。

最初にも書いた通り、本屋大賞作品はすべて映像化されています。こんな絵に描いたような天才、いったい誰がやるんでしょう?

そのほかの登場人物も非常に個性的なメンツがそろっています。ジュリアード音楽院から来た優勝候補筆頭のマサル・C・レヴィ・アナトール、妻子をもつサラリーマンであり出場年齢ギリギリで最後の賭けに出る高島明石、そしてかつて天才少女としてCDデビューまでしているものの、母の死をきっかけに表舞台から姿を消した栄伝亜夜。コンテスタント同士の意外な出会いなども絡み合い、彼らが互いに成長していく様は心にアツいものを残していきます。

こんなキャラクターたちがクラシックの名曲を弾いていく……というだけでもかなり画面映えする作品ですので、もうすでに映画化などの話は進行中だと思われます。具体的な話が出て来たらネタバレは必至ですので、ぜひ今のうちに読んでおきたい作品です。

 


余談ですが、出版社の幻冬舎のサイトでナクソス・ミュージック・ライブラリと提携して、作品に出てくる曲のリストを作成しているようです。ナクソスに登録すればネット上ですぐに聞けるので、気になる方は登録してみるといいかもしれません。

大学生の方に朗報な話をすると、ナクソス・ミュージック・ライブラリはデータベースとして契約しやすいので、意外にご自分の大学図書館で聞ける可能性もあります。特に総合大学なんかだと可能性が高いです。一度図書館に契約しているか問い合わせてみるのもいいかもしれませんね。

 

投稿者: 森野

図書館で司書をしています

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です