【感想】「てつがくのライオン」工藤直子(理論社)

 

小学校の時に「てつがくのライオン」という詩を読んだことがある方、結構いると思います。この詩は教科書に載っているのです。

私はこの詩がなんとなく好きでした。ただ、小学校の時には奥深さというか、そういうものに理解を示せなかったように思います。

司書になって「教科書コーナー」を作ろうという企画が出たので、久しぶりに「てつがくのライオン」のことを思い出しました。それで、理論社から出ている表題の詩集を手にとってみました。

 

ただひたすらにあたたかくてユーモラス、でも時々さみしくなる


「てつがくのライオン」自体は、実は絵本のほうが有名なのかもしれません。長新太さんの絵で描かれたこの絵本は2014年に復刊という形で再度手に取ることができるようになっています。

工藤直子さんの世界は、ただひたすらにあたたかくてユーモラス、という表現が合うような気がします。なにも考えず、ただ受け身で言葉の流れを追っていると、彼女の世界の見方と慈しみというものが理解できるような気がします。

でもときどきさみしくなるような詩もあります。収録されている「ちびへび」や「動物園」なんかは、とても短いのに心に何かを残していくような、さみしい詩です。

この詩集は「てつがくのライオン」以外にもたくさんの短編詩が載っています。ライオンにまつわる詩はほかにもあって、タイトルがずばり「ライオン」という詩はたった五行なのに奥深いユーモラスを含んでいます。

私はそこまで詩を勉強したことはないので、この本で初めて出会った工藤直子さんの詩はたくさんありました。その中でも、「てつがくのライオン」のようなしみじみとしたユーモラスのある「パリにいきたいくじら」もかなりお気に入りになりました。

仕事で手にとったのでもちろん図書館で読んでいるのですが、絶版になる前に手に留めておきたい詩集です。というか、躊躇する必要もないのでいますぐアマゾンで買います笑

 

 

「てつがくのライオン」について


ライオンはかたつむりから教えられて、てつがくをはじめます。哲学というのは坐り方から工夫したほうがよいと思ったので、まずはそこからはじめます。

この素直さがとてもいいですよね。そうやってカッコいいポーズをとって、誰かがきたらてつがくしてるんだって自慢しようとおもっていますが、誰もこないわけです。

一日やって、「おなかがすくと、てつがくはだめだな」なんて言ってやめます。あっさりしています。

そのあとかたつむりのところへいって、今日はてつがくをやったんだって言って、例のポーズをとったら美しい夕日が見える、という場面で終わります。

小学校の教科書に載るわけですから、小学校ではこの一連の流れからさまざまな解釈をしようとします。ライオンはもちろん滑稽に描かれていますが、しかし滑稽さの中に何かが潜んでいると思わせる文章なので、その「何か」が問題として取り上げられるのでしょう。

しかし、詩というのはなにか答えがあるようなものではないと思います。

特にこの詩は、美しい夕日をみるライオンとかたつむりを想像するだけでとても感動的なのです。

なぜ感動的なのか、なんてのは説明できるものではありません。こうやって世界を切り取って言葉で表現する工藤直子さんの詩才そのものが感動的なのかもしれません。

それに、ライオンもかたつむりもはたから見ると滑稽なわけですが、当人たちは真剣そのものです。

この真剣さの中に、なにか見出したくなるのかもしれませんね。しかしそこでグッとこらえて、論理は捨てて自然に情景を思い浮かべるにとどめておくのがよいのかなと思います。

なんだかそうやって考えるのも「てつがく」ですね。

 

おすすめの鑑賞方法 朗読


齋藤孝さんや外山滋比古さんの読書に関する本を読むと、たいてい「素読」の話が出てきます(「たいてい」というのは失礼かもしれませんが……)。

素読とは昔の子どもたちの勉強方法で、漢文の意味の解釈などせず、ただ黙々と暗唱する、という方法です。昔は勉強すると言えば難しい漢文が教科書だったので、まずはそのような方法が取られたのですね。

この素読はすらすらと言えるレベルまで覚えてしまうそうです。そのため大人になってちゃんと意味を勉強してからも自分のものになるので、会話の中でサラッと引用したりして教養のある大人としての品位を身につけたと言います。(形から入る、というのは、そういえばライオンもやっていますね)

なかなか覚えるというところまでやろうと思うと骨が折れますが、べつに覚えなくても、「言葉にする」という行為自体が意外に心に響きます。

ためしにこの詩集のいくつかの詩を朗読してみたのですが、普段そんなことはしないので結構難しい。しかも驚いたことに、何度も読んでいる詩のはずなのに、朗読してはじめて「あ、こんな言葉があったっけ?」と気づく文章がいくつかありました。

黙読をしていれば十分頭に入ると思っていましたが、どうもそうではないようです。

そういう発見を素直にできるという意味でも、工藤直子さんの有名な詩を朗読して鑑賞するというのは、少し特別な体験になるのではないかな、と思いました。

投稿者: 森野

図書館で司書をしています

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